開院までのマイヒストリー

私は昭和38年に板橋区東新町という町に生まれ、日々平穏な幼少期を過ごしておりました。しかし3歳の冬、当時住んでいたアパートが火事に遭い、家族全員やき出されるという悲劇に見舞われました。

あとから母から聞いた話によると、真夜中の就寝中の出来事だったため、目を覚ますのがあと少し遅かったら、家族全員死んでいたかもしれなかったそうです。不幸中の幸いにも、その時生きながらえたことが、「もしかして自分は強運の持ち主かもしれない」と、都合よく解釈して、今日までしぶとく生き抜いて参りました。

・・・話を元に戻します。

火事の後は、運よく同区内の都営住宅に移り住むことができ、小学校に上がった私は、近所の悪友どもの影響を受けスクスクと悪ガキに成長しました。当時流行った遊びが、荒川での魚獲り、悪漢探偵、ビー玉転がし、メンコ、コマ回し、鬼ごっこ、ローラーゲームごっこなど。

特に夢中になって遊んだのが草野球でした。当時の私は少々肥満気味で運動オンチでしたが、それでも友達とワイワイ球を追っかけることが好きで、いつも日が暮れるまで遊んでいました。中学に入ると、友達の誘いでバスケ部に入りましたが、練習がきつく、友達と示し合わせて途中でやめました。

高校時代は、スポーツは控えめにし、アルバイトやバイク・車など興味が移行した時期です。

そんな影響もあって、社会人になってトヨタのディーラーに就職、憧れの整備として社会人をスタートし、販売や管理部門なども経験し、30年間トヨタで勤務させていただきました。

しかしトヨタを退職する数年前から、それまであまり体の不調など感じたことがなかった私が、原因不明の不調に見舞われるようになり、不安感やらストレスでしばらく辛い日々を過ごしました。

今になって思えば、仕事によるストレスで筋肉が凝り固まって、自律神経が乱れていたことが原因だったようです。

メンタルも体力もそれなりに自信があったので、少しショックな出来事でした。

その時悟ったことが、ある程度年齢を重ねてくると、自分の体に無頓着すぎるのは良くないなということ、そして体がしっかりしていないと仕事でも遊びでも充実した生活を送る事が出来ません。

それからは少しづつ、自分の体にも向き合うようになりました。

そしてちょうどその頃、あまり仕事にやりがいを見出せていなかった私が、もう一度人様のお役に立てる仕事がしたいと、転職を考え始めた時期でもありました。

そして出会ったのが、私の母校大川カイロプラクティック専門学院 学院長の大川泰著の「カイロプラクティックほど素敵な仕事はない」という本です。この本に刺激を受け、よし!カイロプラクターになろうと一大決心しました。

トヨタ時代の30年で人として、社会人の基礎を学び、そして、大川学院での2年間、直営院の北千住西口院での修行の6年間は、私の後半の人生にとって、貴重な時間になるものと確信しています。

これまでお世話になった方々に報いるためにも、これからの人生後半も、楽しく一生懸命過ごしていきたいと思います。

拙い長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました!